<クライアントからのレポート>
筆者は現在50代半ばの年齢で、山梨県の山間部につれあいの祖母を含めて家族5人で暮らしている。ベルナで設計してもらった今の家に住んでから1年以上が経過した。先日久しぶりにベルナの荻原さんと語り合ったが、その折にこれから住居を建てる人の参考になるように、私の経験を記録にしてみないかと誘われた。たしかに、依頼された側である建築家「先生」が書いたレポートは住宅雑誌にあふれている。しかし、依頼したクライアント側からのレポートはあまり見たことがない。
住宅は他の商品と違い、買い直しはたいていの人ができないし、時間も費用もかかるので何度も購入することは一般的にはできない。また、私の場合は、荻原さんとは、設計の依頼をするまでまったく何の面識もなかった。したがって、家を建ててもらうにあたって、不安も非常に大きかった。おそらく私のように依頼する人は、そのように感じている(あるいは感じる)ことが当然多いはずである。だが、こうした複雑な思いや建築までの「依頼者側の」苦労というか楽しみというかは、経験したものにしかわからない。
設計事務所による建築では、文字通りのオーダー・メードが可能である。自分の好みや考え方そして家の使い方をそのまま形にしてもらえる。それらに応えてくれた住居になれば、その満足感は計り知れない。とはいえ、設計から竣工まで、設計士とある意味では二人三脚で行くので、多くの楽しさもあれば、面倒くささもある。また、1年も過ぎるとああしておけばよかったと多少の後悔も出てくる。
そこで、以下ではどういう経緯で現在にいたってきたかを時間軸に沿いながら思い出し、「建築家への依頼」という私にとってはやや「敷居の高い感じがした」方法では、どのように家を建てていくことになるのかを記していくことにしたい。この記録が、マイホーム作りという「ベルナとの共同事業」にこれから臨もうとしている(あるいはその前で逡巡している)人たちへの、依頼者側に立った良好な「事前情報」になるならば、荻原さんの誘いに応じた者としてとても嬉しい。
<住みにくさがスタート>
話は、今から2年半前、2007年の冬からスタートする。家の建て替えは、実は相当前から考えていた。当時住んでいた家は、建てられてからそれほど年数が経過した家ではなかった。しかし、私が建てた家ではないので趣味が合わないし、何といっても寒さがひどく、また使い勝手もきわめて悪かった。とはいえ、「建て替え」というのは、実際には結構気が重くなることが多い。というのも祖母が住んでいた家なので、昔からのものが家中に溢れかえっている。加えて、崩れかけている昔からの土壁の蔵も住居のすぐ近くにあり、これも同時に取り壊さないと新居が危ない。費用ももちろんだが、一番気が重いのは、「片付け」である。細かいことを気にせず全部「ゴミ」にして廃棄してもよいが、やはり貴重なものや必要なものは残したい。となると片付けの時間が必要になる。その時間的余裕はいつ、どれくらい取れるのか。また、建て替え中は、仮住まいをしなければならない。都会ならそうした家を見つけるのは容易だが、山梨の田舎ではそれはかなり難しい。しかも祖母は80代である。こうした年齢の人をあまり遠くにつれていくことはできないし、そもそも自分たちの仕事もあれば、子供たちの学校もある。そういう外部要因を考慮して、ようやく踏み切ったのが2007年であった。
<住宅メーカーのほうがお手軽?>
家の建て替えは前から考えていたので、頼む先は前から決めていた。それは住宅メーカーであった。というのも、住宅を建て替えたいとは思っていたが、建て替えにあまり時間は取られたくなかったから。メーカー住宅の場合は、カタログを見れば、商品のイメージはつかみやすいし、そもそも細かい部品についてあれこれ考えなくて済む。建築期間も短いし、打ち合わせも営業マンが来てくれる。それでなくても建て替えは面倒なことが多いので、とにかく、楽に完成まで到達することを優先させてメーカー探しをした。
メーカー探しには、まずカタログの入手からスタートした。現在では、インターネット上のHPを使ってカタログは簡単に取り寄せられるし、ある程度の内容はHPのファイルで確認できるので、自分のセンスや予算にあったものをあらかじめ選択できる。ここでいくつか絞ってカタログを取り寄せ、そこからさらに絞って住宅展示場に見に行こうと思っていた。
<無料カタログは撒き餌>
カタログの取り寄せは、きわめて簡単である。必要事項をシートに記入してインターネットで申し込むだけだ。だが、これはメーカー側の顧客情報入手のための手段になっている。というのも、カタログは郵送ではなく、営業マンが持参してくるのだ。当然かれらは、持参してきたときに、家の様子、希望などを聞いてくる。そしてまったくの冷やかしかどうかを判断し、こちらが本気であることを確信すると、その後頻繁に訪ねてきて、早く決めろとせかせるようになった。
このときのセールスのありかたで、私はそれまでの自分の考えが間違っていたことに気付かされた。住宅は気楽に購入できるものではない。人任せにすれば、そういう売り方でも売れるものしか購入できない。自分の年からして、2度は家を建てない。だったら、少なくとも車よりは真剣に悩み、比較し、慎重に事を進めなければいけない、と。
<どこに頼むのが良いのか>
そこで、住宅建築関係の本を読んだ。その結果いくつかのことがわかった。第一には、家の建て方には、大きく分けて三つのパターンがあることがわかった。住宅メーカーへの依頼、近在の工務店への依頼、そして建築家への依頼である。もっとも、家そのものは、大工さんを中心とする職人さんが作るのであって、その点は、実はどのルートでも同じである。だが、最後の作り手が同じでも、その過程はまったく異なった道を通り、そのことがまったく違うものを生み出していくということがわかった。
第二には、たとえ住宅メーカーに依頼したとしても、現場での施工管理が重要で、多くの欠陥住宅は設計図からおかしいのではなく、現場の判断で工事がなされることに由来することがわかった。
第三には、建築家への設計には、施工管理業務も含めての依頼になることがわかった。いくら頻繁に私たちが現場を見ても、どの作業が適切になされているかはまったくわからないので、この点はとても助かるというか、安心だということがわかった。
そして最後、建てようとする住宅にこだわりが強くある限り、建築家に頼むのがもっとも適した建て方であることがわかった。
この読書によって、当初考えてはいなかった「建築家への依頼」を決意した。
<誰に頼もうか>
建築家への依頼は、知っている人やすでに建てた人からの人づて情報によるか、住宅雑誌などに載ったものを見て「先生」と呼ばれる人に頼むかの、どちらかの方法が多いことも先の読書でわかった。しかし、私はどちらの線もとらなかった。後者の「先生」の多くは東京近郊におり、そういう人が「現場の施工管理」にわざわざ山梨まで頻繁に足を運ぶとは思えなかった。また、前者についても、へたに知っている人だと「言いたいことが言えなくなる」ので、これも避けようと思った。それで思いついたのは、インターネットで近在の建築家を探すことであった。検索語は山梨県、建築士、などで探すと出てくる。住所と電話番号だけのリストもあったが、なかには、作品や設計にあたっての方針などを載せた自分のHPを設けている人もいた。これを使って絞り込み、あとは実際に話を聞きにいこうと考えた。そしてついに、スタジオ・ベルナのHPを見ることになった。
<ベルナにおっかなびっくりでない訪問>
ベルナは、設計を依頼したいと思った候補者のひとつであった。しかし、HPに載っていた作品事例は自分の好みに合っていた(そういうケースしか候補にはならないが)ので、訪ねて行くこと自体はそれほど気の重いことではなかった。そこで会ってみて思ったのは、「細かいセンスが合いそう」ということであった。設計では、作りつけの家具類が多くなるし、それこそ引き出しのつまみ一つまで指定することはできる。しかし、そんな細かいことまでいちいち判断しなければならなくなると、必要となる時間は膨大になる。そこで、希望をだいたい言って、あとはお任せにできればしたい。かといって、まったく任せてしまうと趣味や考え方のずれで苦しむこともありうる。このあたりの按配は難しいが、とにかく、そのへんの距離感と信頼を築くことができそうだ(ちなみに、荻原さんが私よりも年下だということもよかった。年上の設計者にはやはり遠慮することになるだろうと私は思っていたから。)と感じた。だが、実はこの後も他の設計事務所にも行って話しをしてきている。しかし、結論は、荻原さんにお願いしようと思った。ただし、まだ正式の契約はしてなかった。
<恥ずかしながら自宅を見てもらう>
もうベルナに決めていたが、そのことは言わないで、とにかく自宅を見にきてもらい、提案をしてもらうことにした。自宅の土地の形状は山間地なのでやや特殊であったが、そのことが荻原さんには新鮮だったようで、とても熱心に土地を見ていた。また、祖母から昔の風の流れの話や、家が非常に寒いことなど、建てる上でのいくつかのポイントを聞きとってくれた。これらをもとに立体模型で、設計案を示してくれるという約束になった。しかしたしか、この段階でもまだ契約はしていなかったと思う。
<模型を見てとにかく感動>
数週間後、基本の設計図と模型ができてきた。それは、予想していたことと、予想していなかったことをあわせもったものだった。予想通りだったのは、全体の形状で、土地の形状からしてそうなると思っていた。しかし、内部の構造と部屋の配置は驚きで、実に理にかなっているし、またスキップ構造が非常にうまく利用されていた。スキップでありながら高齢者にも配慮してあるし、スキップ特有のつなぎ部分の意外性もあるし、さらに日常的な各部屋の使い方にまったく無駄がなく、とにかく使い勝手のよさそうな配置に感心させられた。冬の日照の少ない場所なので、それもよく配慮されており、模型を床におくと、どこまで日が入る家になるのかも目で確認できた。また、駐車場の位置も抜群で、濡れずに室内との出入りができ、さらに土間に相当する部分も確保され、祖母の趣味と今ではなっている農作業にも配慮された作りになっていた。とにかく、家族構成とその家族の動線がよく配慮された設計で、本当に感心させられた。これで設計契約を正式に結んだのは言うまでもない。
<見えない土地を見てもらう>
契約後最初に言われたのは、地盤の調査をすることであった。建てなおす場所は昔から住居が建てられていた場所なので、必要性はあまりないと思っていたが、地面の中は専門的に調べた方があとあと安心だと荻原さんに言われたので、それに従った。結果、私が想像していたよりも問題のある地盤であることがわかった。これを受けて、土台のコンクリート部分が当初の予定よりも深く、丈夫に作ることになった。今後予想される地震のことを思うと、とにかく土台が一番大事であろうと思う。他のところは仮に崩れたり、壊れたりしても、修復は容易であるが、土台はそうはいかない。こういうところをしっかり見て、構造を決めていく設計には、深い信頼を寄せることができる。そのことを最初に実感するできごとであった。
<詳細設計でのやりとり>
正式の設計となると、たとえば、台所に配置する機器で新居でも使うものはどれで、どのくらいの大きさかとか、天井高をどうするかとか、細かい希望などを話すことになる。そうした希望のなかで、とくに重視したのは、寒さ対策である。住居地は海抜高度が比較高く、さらに、周囲が山に囲まれているため、日照時間も少ない。また、家の周囲が高いので、地面もあまり乾かず、湿気がこもったようなところがある。したがって、夏でも涼しいのはいいのが、冬は極端に寒く、家の中の水道が凍ることすらあった。この点だけはとにかく十分に考慮してほしいことを伝えた。また、夏は冷房の必要がないので、風の通りのよい家にしてほしい、ただし、冬がそれによって寒くなることは避けてほしいことも伝えた。もっとも、模型を作ってもらう前にも、結構希望を話していたので、全体の部屋の配置で改めて修正することは一つもなかった。あくまでも個々の部屋のなかの細かい使い方の確認がなされた。たしか、家族全員に会ってもらって、それぞれの好みや考えなども聞いてもらったようにも記憶している。 そうした話を受けて、最初の設計図ができてくる。これができると、今度はそれをこちらで検討することが求められ、何か所か変更希望を出した。しかし、希望のなかには専門家の見地からかなえないほうが良いものもあるので、こちらの希望を採用するかどうかを話し合いながら、具体的にどうするかを詰めていった。こうして、最終的な設計図を作り上げていく。そうした手順を踏んで、設計図ができあがる。
<設計図は細かいが、現場で決めるものもある>
設計図というとどんなものを想像するだろうか。土地全体の概況や部屋の間取り図は当然想像していた。しかし、ベルナから渡された設計図は、想像以上に大部であった。住居の断面図はもちろん、個別の工事方法についての詳細規定や、作り付け家具の詳細図、また、弱電関係の図面など、多方面にわたる図面が入っている。さらに設備機器についても、標準的な装備を前提にした図面がついている。 これらを見るときには、結構空間的想像力がいる。また、部屋の使い方について、自分でシミュレーションしてみる必要がある。たとえば、我が家の場合、台所は私と妻と二人で調理を同時に行うことが多い。一般的な設計ではそうした使い方を予想しないから、キッチン内の通路部分が二人で行き来できるくらいの間隔がとってあるかを実寸で再現して確認したりした。また、電気の配線やコンセントの位置と個数、外用コンセントの位置や個数、インターネット関連の室内LANの配置、電話回線、CATVをどこに配するかなど、それこそ人によって違うので、こういうところを確認していく必要がある。後でも触れるが、結構よく見たと思ったが、ガラスの種類(透明か曇りか)を確認し忘れたり、床材についてみてなかったり、備品の見忘れなどもしていた。 もっとも、建築が進む過程で変更したり追加したり、あるいは色の選択は後でするように最初から設計されていて、工事途中で決めたりすることも出てくるので、すべての図面がそのまま完全に変更不可能なわけではない。屋根の色、外壁の色、壁紙やフローリングの板の色など、印象を決定づけるものの多くが建築進行中に決定するものであった。とはいえ、構造にかかわる大きな変更は基本的にできないので、とにかくよく見ておく必要がある。
<工務店の選定がいる>
家の建築自体は、建築会社に頼むことになる。設計事務所自体が建ててくれるのではないので、建築会社とはまた別に契約を交わさなければならない。当然、価格の問題が出てくる。ここで、設計士に頼んだときの強みが出てくる。というのも、設計士は自分で設計するときに、依頼者の予算を前提にして設計してくれるので、工事会社との契約でも、素人の依頼者に代わって、工事会社と価格面での折り合いをつけてくれるからである。もちろん、この工事会社からの見積もりとの詰めの交渉でグレードなどの変化も起きるが、それでも、必要なものと不必要なもの、レベルを下げても問題ないものなどの吟味を設計士がしてくれるので、予想以上に高い工事費に結果としてなるということは基本的に起きない仕組みになっている。工事会社は私が自由に選べるが、荻原さんに任せて、建設会社を紹介してもらい、そこと建築請負契約を結んだ。契約価格は、最終的に当初予算の一割増し程度であった。
<いよいよ工事開始>
建て替え工事なので、旧家の片づけ、一時的な転居などの必要があり、これらが実行できる時期が決まっていたので、設計や建築契約がすぐになされた割には、実際の工事は結構遅く始まった。2007年の9月から建築は始まった。コンクリートの基礎部分がかなり大がかりで、しかも土中に巨大な岩石が出てきたためこの部分の工期が幾分長くなった。棟上げ式はたしか11月だったと思う。最近は、古典的な上棟式はしなくても通用すると聞いていたので、工事関係者だけの上棟式とした。これは費用の節約になった。また、大工さんらへのお茶出しも、結局しないということで通した。工事を仕切る現場監督から、最近は工程毎に職人さんが細かく入れ替わるし、職人さんも自分たちの都合で休憩するようになっているので、お茶出しがないからといって職人さんの機嫌を損ねることは別にないとのアドバイスを受けた。そこで、その言葉に従った。基礎工事以外はおおむね予定工期通りで進行した。
<設計図を改めて真剣に見る>
工事が始まると、設計図を改めて見直すことが多くなった。というのも前にも書いたが、細かい部分(たとえば、システムキッチンの具体的な組み方とか、バスのグレード、フローリングの選定、屋根の色、壁の色、窓ガラスの種類など)は、工事の進行に合わせてこちらで改めて決めなければならなかったからである。これはよい面とマイナスとどちらもある。設計図では標準仕様で設計されるが、システムキッチンの組み方、色などは部屋ができてきてみないとイメージできないこともあるし、使い方については人によって好みが違うものもあるから、工事途中で決められるのはありがたいであろう。この点ではとくに「浴槽」の設計がわれわれの想定よりも小さいことに気が付き、設計よりもグレードを上げて大きくできたことがよかった。シンクも設計時以後新製品が出てきて、そちらに変えたりすることができて、こういうところは良かった。しかし、グレードを変えると費用は余分にかかっていく。また、納入品の決定を行うために各商品展示場に行って現物を確認してくるという面倒が付いて回ってくる。さらに、色見本で決める場合は、どうしても小さな見本しかなく、壁紙やフローリングのように、実際の面積が大きくなる場合には、色見本と印象が異なることも多い。したがって、大きな面積をもつものの決断は、それはそれで結構神経を使う作業であった。しかし、荻原さんに相談できるし、提案もしてくれるので、海の中で小舟に乗っているほどの心細さを感じるわけではない。
また、大工さんによる造作では、部屋がある程度できて初めて実感できる大きさや利用のしにくさなどがわかってくる。いずれにせよ、早い時点で気がついたり、申し出たりすれば、変更できるところはいくつか出てくる。そこで、この時期改めて設計図を真剣に読み直すようになった。ここで大きく変えたのは、フローリングを一部はやめて、カーペットにしたことであった。子どもたちの部屋は衛生面などからフローリングでよいが、自分たちのプライベート・スペースとなる部分は寝室もあり、しかも構造的に半地下なので、床の冷たさが気になった。好みの問題もあるが、この変更は良かったと思っている。
さらに、作り付けの家具で一つ「机」が入っていなかったことに気がついた。また、居間に本棚がなかったので、これも追加してもらった。さらに、二階の窓の硝子のいくつかがプライバシーを顧慮して曇りガラスになっていたが、見晴らしがよかったので、透明ガラスに代えてもらった。
<終了時に近づくと、外溝工事をしてもらいたくなる>
家の工事も最終局面に来ると、外観がよくわかってくる。このとき、庭の造作が気になりだした。最初の設計では、外溝までは考えていなかった。といよりもそこまでの予算を見込んではいなかった。しかし、外観ができてくると、駐車場のことが気になってきた。もともと、ガレージは家の一部で組み込まれていたので、それしか頭になかったが、山梨県では、ほとんどの客が車で来る。このゲスト用の駐車スペースが必要なのだ。もちろん、そのための空間は織り込んではいたが、ただの空間で、庭との境は想定していなかった。しかし、これは美的に問題がある。私の感覚では、車は「下足」なので、下足が庭にあるのは、家の中に土足で上がられたような気がする。このことが気になりだしたので、荻原さんに相談したら、庭の図面を作ってくれた。ゲスト用の駐車スペースが2台分あり、しかも、玄関へのアプローチに駐車場から階段が少しあって変化も生まれた。また、シンボル・ツリーも選んでもらい、配置にも協力してもらった。これでまた費用が増えたが、園芸工事以外は工事期間内にこの追加工事を行ってもらったので、入居後に不便を忍ぶ必要はなくなった。
<ついに入居>
入居は、これまたこちらの仕事の関係及び引っ越し業者の都合もあって、2008年の3月の中旬となった。一時転居による引っ越しでは、「倉庫」のサービスがあり、荷物は転居してもってきたものと、倉庫に保管していたものが同時に引っ越し時に届き、膨大な量であった。この整理に1週間以上かかった。ここで改めて捨てたものも多い。 それはともかく、建物については、カーテンをつける必要があった。これは勿論自分でやることになるが、ここでも荻原さんに相談して色と素材を決定した。カーテンも今ではさまざまなタイプがあるが、統一感を考えて、ほとんどの部屋を同じ素材として、開け方だけをいくつか変えることにした。 また、郵便ボックスがついていなかったので、これを探した。この部分は設計段階で私は家から郵便物が取れるよう壁を貫通する形を主張したが、荻原さんがその壁部分を全面ガラスにすべきだと譲らなかったので結局、ボックスは外に置くことになっていた。この経緯を荻原さんに話して(荻原さんはこのことを忘れていたので)、荻原さんに探してもらった。しかし、なかなかこれというのが見つからないという。だが、ベルナの事務所のボックスと同じものなら推奨できると言われた。これはステンレス製の大型のもので、値段が結構する。また設置工事も必要なものなので、ボックスだけでなく工事費もかかるものだった。少し迷ったが、家の正面は重要なので、結局これにした。表札がわりに美しく名前を入れることもできたので、結果的にはとてもよかったと思っている。さらに、外で使う水道の蛇口を専用に設けていないことが不便だと思い、外に一番近い蛇口に二股の蛇口をつけてもらった。
<まとめ>
以上、ざっと振り返ってみたが、やはり建築家に依頼したこと、とくに荻原さんに依頼したことは、本当に良かったと思う。家を建て直してからは、外食の回数が著しく減った。家のキッチンが快適で、食事が楽しくなったからである。また、家で仕事することも増えた。自分の仕事部屋が整い、オフィスに行かないほうが能率よく仕事ができるからである。ガーデニングの楽しみも発見できて、とにかく言うことなし。最初で最後の大きな買い物で、それなりに大変ではあったが、しかし、とにかく毎日が楽しい暮らしとなり、一日でも長くここで暮らしたいと思うようになった。家は毎日いる場所なので、とにかく波長が合っていることが重要だと思う。
しかし、建物の建築途中に設計図を丁寧に見るようになった点は反省すべきことであった。設計図が出た時にもう少しよく検討しておけば、追加的な工事をする必要は減らせたと思う。全体の構想のすばらしさに魅了されたため、個々の部屋の備品や諸種の機器の使い勝手についての検討がややおろそかになっていたのではないかと反省している。
ともあれ、「本当に満足する家には3回建ててみてようやくそうなる」と以前私の兄から言われたことがある。そんなことができる人はわずかだろうから、この言葉が本当かどうかはわからない。だが、それくらい100%満足できるものを一度で作ることは難しいというのはわかる。私のガーデニングのように、入居してから新たに始めたこともある。そんなことは住んでみて、庭に実際向き合ってみないとわからない。荻原さんと先日話して、「家と庭があって家庭」と言われたが、本当にそうだと思う今日この頃である。今後は、家のメンテナンスに心がけ、使い方をさらに工夫して、快適な住空間の維持に努めていきたい。長く付き合いたくなる家を作ってくれた荻原さんには、ただただ感謝するだけである。